研究課題/領域番号 |
25580033
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研究種目 |
挑戦的萌芽研究
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研究機関 | 京都市立芸術大学 |
研究代表者 |
定金 計次 京都市立芸術大学, 美術学部, 教授 (40135497)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 美術史 / 図像学 / インド仏教 |
研究概要 |
インド中期密教の最重要経典の一つである『大日経』とそれに基づく「胎蔵曼荼羅」が何処で成立したかは、未解明のままである。本研究は、後者「胎蔵曼荼羅」の成立場所と成立過程を美術史の立場で解明しようとするものである。かかる課題が解決されれば、同時に『大日経』の成立場所も明らかになる。 平成25年度においては、研究代表者がこれまでの研究によって成立場所と想定している遺跡とそれと関連する遺跡の現地調査を行った。その結果、想定している場所において「胎蔵曼荼羅」および『大日経』が成立した可能性が非常に高いことが明らかになった。研究成果は、平成26年度の調査研究を経て、論文あるいは学会発表の形で公にするものの、現時点では研究の中間段階にあり、研究成果の一部は公表を控えるべき秘密事項であるため、成立場所の具体的な言及は差し控え、北西デカンから更にその西北に点在するインド後期仏教石窟の一つで成立したとだけ指摘しておく。 研究代表者が「胎蔵曼荼羅」延いては『大日経』が成立したと想定している場所について、そこが候補地として最も可能性が高い理由は、いくつかある。それらのうち特に重要なものは、公表出来る範囲で記せば、以下の通りである。即ち、仏教寺院としての本尊脇侍が観自在・金剛手の二菩薩であり、その配置が「胎蔵曼荼羅」と左右および方位の点で一致すること。更に我国に伝播したものと異なり、初期のインドの「胎蔵曼荼羅」において、中台八葉院東方に位置する如来が触地印を示していたと推測される。触地印を示す中尊と観自在・金剛手の二脇侍からなる三尊を本尊として祀る寺院仏殿の方位を主とした構造的性格と中台八葉院東方に触地印の如来があることとが即応するのが、もう一つの理由である。かかる点で、同様の特徴を持った寺院は、インドでは他にあまり見られず、現在想定している場所で成立した可能性が高いと考えられるのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
平成25年度の現地調査によって、研究代表者が仮説的に想定していたインド後期仏教石窟の一つにおいて、「胎蔵曼荼羅」延いては『大日経』が成立した可能性が高まった。研究実績の概要に記した通りである。現時点では具体的に呈示するのを控えている、成立場所として最有力候補である石窟以外の後期仏教石窟に関して、調査を行う前には、別の有力候補地が出て来る可能性も考慮して関連調査を実施した。しかしながら、調査結果においては、研究代表者が立てた仮説が最も可能性が高いことが明らかとなった。当初の計画より研究が進展していると判断している理由である。
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今後の研究の推進方策 |
北西デカンおよび更にその西北に点在する後期仏教石窟を中心とした調査を平成25年度に完了しているので、平成26年度は、インド中期密教が盛んに行われた中部インド東の仏教遺跡であり、最近の調査研究によって『金剛頂経』および「金剛界曼荼羅」の成立場所とされているシルプル、あるいは東部インド南寄りのウディシャ州に属し、『大日経』が普及していたラトナギリやウダヤギリ等の仏教遺跡、更には東部インド北寄りにあり、やはり密教が盛んであったナーランダー等の仏教遺跡を、研究課題に則した視点から現地調査を実施する。 その調査結果によって、研究代表者が平成25年度の調査研究から後期仏教石窟の一つにおいて「胎蔵曼荼羅」が成立したと想定していることが正しいことを確認すると同時に、『大日経』と「胎蔵曼荼羅」がどのように普及し展開したかという問題を解明するつもりである。平成26年度の現地調査により、万一より有力な候補地が見出された場合、研究を速やかに修正し、新たな結論を呈示するように努力する。 研究の結論が確定したら、速やかに学会や研究誌等において発表する予定である。
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