「胎蔵曼荼羅」は、インドにおいて密教の理論的確立を遂げた『大日経』の編纂と共に成立し、密教絵画としてのマンダラにとって本格的展開の始まりを告げるものであった。しかし、我国だけに残された成立過程を窺わせる貴重な資料に基づくと、以降に成立したマンダラに比して特異で、極めて多くの像を描き込むという点に加えて、水平面に方位を決めて描くマンダラ本来の性格だけでなく、垂直の上下関係に基づく構成原理も含んでいる。かかる特質が、中国に伝播し、空海が我国に伝えた「胎蔵曼荼羅」まで受け継がれている。インドにおいて、その複雑な成立過程を詳細に検討すると、様々な条件から成立地としてエローラ石窟が想定し得る。
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