英彦山修験者が制作した鹿児島県の清水月輪大梵字について、3Dデータを上部からみて、崩落した磨崖面形状を予測した。破損した羅候星梵字の痕跡が微かではあるが確認された。屏風状の磨崖面についても『彦山流記』の記述との関係から述べた。 次に、熊本県の青木磨崖仏について、3Dデータ化によって崩落前の磨崖面を復原し、阿弥陀如来を重視した天台系英彦山修験の世界観を示している可能性を示した。また造形的な特徴から12の梵字群の制作時期を2つに分け、阿弥陀信仰、金剛界四仏、本地垂迹思想、倶利伽羅竜王への崇敬、胎蔵界大日如来真言といった思想的背景から言及した。 本研究は、修験道が阿弥陀信仰と深く結びついていたことを、造形的な観点から明らかにした。さらに、今熊野窟磨崖仏、清水磨崖仏、青木磨崖仏の造立動因が、九州と大陸との関係にあることを示した。英彦山今野窟磨崖仏は1237年、清水磨崖石仏は1264年に作られている。この時期、モンゴル軍が高麗王朝(1231-1273年)、および南宋(1235-1279年)に対し侵攻を行っていた。その後、モンゴル軍が「文永の役」(1274年)、「弘安の役」(1281年)として北部九州に攻めてきている。これらの宗教史跡の所在地はいずれも、古くから大陸との活溌な交流が行われていた場である。末法思想だけでなく、大陸からの脅威を封じ込めようとする目的意識が、月輪大梵字を含む磨崖仏造立を促した可能性を示した。
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