研究課題/領域番号 |
25580064
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研究種目 |
挑戦的萌芽研究
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研究機関 | 青山学院大学 |
研究代表者 |
福田 敬子 青山学院大学, 文学部, 教授 (80276005)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | ヘンリー・ジェイムズ / ジャポニズム / 19世紀アメリカ / ボストン / イザベラ・スチュワート・ガードナー / 岡倉天心 / 松木文恭 / 山中定次郎 |
研究概要 |
平成25年度は、ヘンリー・ジェイムズとイザベラ・スチュワート・ガードナーの関係を調べる予定であった。 ガードナーの日記や伝記など、主たる資料は入手した。また、ジェイムズについてもガードナーとの関係がわかる資料をある程度は入手することができた。ジェイムズが日本についてどの程度関心をもっていたかについてはまだ調査中で結論は出ていないが、少なくとも彼の周辺にいた友人の多くはジャポニズムに傾倒していたことから、まったく無関心ではなかったことが察せられる。また、ジェイムズ自身の日本に関する直接的な言及は少ないものの、ガードナーを通じて、岡倉天心と接触したことがあったらしいところまでは分かった。 ガードナーとジェイムズ双方にゆかりの深いニューヨークの風俗やボストンの文化人について調べるために、当初の計画通り、ニューヨークとボストンで資料調査を行った。 現地で一次資料を検索している最中に、ガードナーに日本の美術品や骨とう品を売っていた松木文恭が、のちにワシントンD.C.にフリーア・ギャラリーを創設するフリーア(Charles Lang Freer 1854-1919)とも取引をしていたことがわかった。しかし、岡倉天心がボストン美術館東洋部門の顧問になったころから、松木はガードナーからもフリーアからも信頼されなくなり、やがては袂を分かつことになる。その原因は何かが気になったため、平成27年度の主たる研究テーマに設定していた松木文恭についても、前倒しの形でかなりの資料を集めることとなった。 この問題に関しては、2014年9月28日に開催される日本アメリカ史学会第11回年次大会の「モースの愛弟子(?)のアメリカ体験:美術商人松木文恭(1867-1940)の『アメリカその日その日』」という研究発表で明らかにする予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上記の「研究実績の概要」にも記載したように、当初の計画と順番が変わった部分があるが、おおむね順調に研究が進んでいるといえる。 ガードナーとジェイムズ関連の資料はかなり集まり、目を通すことができた。また、19世紀末ボストンにおける芸術運動や日本趣味についても、相当量の資料を見つけることができたと考えている。 平成25年度中に論文発表をすることはできなかったが、26年度中には論文発表ができる見込みである。 一方、前倒しで調査研究を早めることになった松木文恭についても、彼が東洋の美術品、骨とう品の店を開いたボストンに赴き、現地でしか手に入らないと思われる資料を収集した結果、26年度9月に学会発表をするところまでこぎつけることができた。
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今後の研究の推進方策 |
ジェイムズとガードナーの関係、および二人とニューヨーク、ボストンの関係についての調査を続けるほか、二人とヨーロッパの関係も調べていく予定である。特に、アメリカを去ったジェイムズが居をかまえたイギリスのロンドンと、ジェイムズとガードナーを含む多くのアメリカの文化人が集まったイタリア・ヴェネツィアのアメリカ人サークルの実態について調べたいと考えている。 関連の研究書を多数読むだけでなく、可能なら26年度中にロンドンとヴェネツィアを訪問して現地資料にあたってみたい。 アメリカ人がアメリカを離れて異国に行きたがったことは、彼らの間でジャポニズムがはやったことと関係していると思われる。したがって、上記の調査は、結果的に、ジェイムズと日本の関係を考察するための新しい手掛かりを見つけることにつながると考えている。 同時に、岡倉天心、松木文恭ら日本人と、日清・日露戦争時のボストン社会との関連も引き続き調べていく予定である。
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