研究課題/領域番号 |
25590043
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研究機関 | 龍谷大学 |
研究代表者 |
濱下 武志 龍谷大学, 仏教文化研究所, 客員研究員 (90126368)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 海関人事 / 帝国の周縁 / 海関と国際関係 / ロバート・ハート / 海関郵政 / 日本人海関員 / 外国人税務司制度 |
研究実績の概要 |
近代中国の「外国人税務司制度」に関する歴史的な評価は、国際的という場合にも、イギリスを中心とした従って総税務司ロバート・ハートを中心とした国際関係に注目した研究がこれまで多くなされてきた。 しかしながら、本研究課題の目的である、人事考課における多様な国際関係に注目すると、清朝側の海関人事への参入も含めて、きわめて国際的に入り組んだ関係の文脈が存在していることが明らかとなる。 その中で特徴的な事例として、19世紀末に海関機構の中で開始され、その後清朝に移管されることになる郵政事業がある。この郵政事業に関連して、海関総税務司はイギリスが担当することから、その他のポストについては国際的な配分が配慮された。イギリスに次いで多くの海関員を出していたフランスからは、洪北海関税務司であったT. Piryが郵政務司に抜擢され、オランダからはJ.W.H. Ferguson、ポルトガルからは1895年から海関勤務を始めていた E.E. Encarnacao、ロシアからKonovaloff, ドイツからはvon Strauch、アメリカからはGilchristというように、国際バランスの視点からも郵政業務の担当が決められた。 また、この国家代表的な人事とは別に、海関人事をめぐる多様な国際関係を見て取ることができる。例えば、1907年の海関人名簿にみられる日本人の荒田武卿は、カリフォルニア大学の修士号を得て1896年に海関に勤めている。また、国籍とはかかわりなく、多くは船員や軍人の経歴をもつ国際活動に従事した後、海関に就職している。イギリスの場合もアイルランド出身者が多いことも注目される。北アイルランドのベルファストにあるクイーンズ大学には、ロバート・ハート、アーノルド・ライト、ピリなどのアーカイヴが保存されており、いわばイギリス帝国の周辺から見た国際関係を見ることができる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
まず、統計的資料の作成において、海関人事について、不定期に発行された海関人事録Service Listに掲載されている国別人名と中国名、勤務した海関とその職掌、海関勤務の初年と末年、清朝による爵位褒章とそのランク、などを中心として収集し、データをエクセルに入力し、さまざまな検索により、多様な人事考課をめぐる国際関係を統計的に示すことができている。 次に、人事資料に関する整理として、Circular(通令)として総税務司から適宜発令される人事関連の指示や指令について1860年代から清朝末期の1910年を目途に系統的に収集した。資料の内容は、公式な採用条件、任命、給与、職掌、禁令、罰則などである。 この総税務司が発するCircularに関連して、ロバート・ハートとロンドン事務所の責任者であるキャンベルとの間に交わされた半公式の往復書簡により、公式資料には見られない人事政策の動機や目的について検討した。 また、海関に勤務した者が、日記の出版(ロバート・ハートなど)、本人による回憶録や自伝(Paul King, In the Chinese Customs Service: A Personal Record of Forty-Seven Years他),親戚や子供によって書かれた回想録(Mary Tiffen, Friends of Sir Robert Hart: Three Generations of Carall Women in China他)などの関連資料が近年多く出版されている。 上記の海関人事資料に加え、海関郵政人事資料が、2000年代に入ってべルファストのクイーンズ大学アーカイヴから公開されたことが明らかになった。この郵政人事記録を含めた海関人事資料を補充調査することにより、海関人事の全体像とその国際関係の多様性が明らかになると考えられる。
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今後の研究の推進方策 |
「外国人税務司人事制度」は、人事考課の進め方を通して海関の国際関係を照らし出す試みである。そこでは、第1には、制度的な人事制度の運用による国際関係の形成が行われていることを明らかにする。いわば、外交関係的な国際関係を見ることになる。ここでは、非中国系の外国の海関人員をめぐる動きの検討が中心となる。 これに対して、第2には、人物ならびに非制度的な側面から海関人事を見るという課題である。すなわち、海関に勤務した人物を人物史の視点から検討することである。そこでは、中国に来るまでの経歴、家族的な背景、海関試験について、など海関勤務に至る背景がまず明らかにされる。例えば、Through Dragon's Eyes という回顧録を著したスコットランド系アメリカ人のL.C.Arlington のように、両親のアジアへの関心から影響を受けていることなどが明らかにされる。また、海関勤務の過程ですでに中国古典に通暁し、紅楼夢などを翻訳した漢学者も出ている。このように人物史、個人史の視点から海関人事を見ることにより、公式記録には見られない側面が明らかにされる。 第3には、清朝側の海関人事に関する政策と対応を検討することが必要となる。この中では、外国人に対するものと、中国人に対するものに分かれる。まず、外国人海関員に対しては、定期的に褒章を与え爵位を授与している。この点は、清朝が雇用していることを象徴しているとみなすことができよう。他方、清末には、生員、監生、貢生などが、地方督撫の推薦によって海関に職を得ている例がみられる。 以上のように、海関人事制度を通して、外国内部の国際関係、当時の船員や軍人など国際職業の背景から見る国際関係、清朝と外国との関係、さらに内外に新たな職場を提供するものとしての海関人事制度などが入り組んでおり、これらを総合的に海関人事ネットワークをめぐる国際関係として検討する。
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次年度使用額が生じた理由 |
海関郵政事業の初代責任者であるフランス人A.T.Piryは、1874年に海関に勤務し、その後 洪北海関税務司などを経て、1904年に郵政司に任命された。このPiryの書簡や報告を中心としたPiry Archiveが2000年代になってベルファストのクイーンズ大学のアーカイヴにおいて閲覧が可能となった。昨年度、本研究課題の途中でこの経緯を知り、ぜひこの資料を閲読調査し、海関郵政人事までを含んだ海関人事の全体を検討する必要性を痛感した。
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次年度使用額の使用計画 |
北アイルランドのベルファスト市のクイーンズ大学アーカイヴを訪問し、Piry Archiveの閲読調査をおよそ1週間行う。引き続き、ロンドンの国立アーカイヴにおいて、およそ1週間にわたり、海関郵政またそれを引き継ぐ清朝郵政とは別に、外国が独自に中国各地に郵便局を設置した中で、イギリスが天津をはじめとして中国各地に多くの郵便局を設置した記録を調査閲読する。この資料調査のために、旅費と宿泊費を中心に支出する計画である。
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