東京電力福島第1原発の事故で放射性物質が飛散した地域では依然、多くの人たちが避難生活を強いられている。除染を進め、順次、帰還が国の方針だが、積算被曝量を懸念して移住を決意する人たちも増え始めている。そこで、福島県内の非汚染地域に新都市をつくり、避難地域のセカンドタウンとして二地域居住を法的かつ都市経営のうえからも保障する制度提案を行うのが本研究の目的である。 移住でもなければ、一時的な疎開でもない。当面、居住に適さないふるさとを「母なる地」として保護する一方、アイデンティティを維持しつつ新しい地を「終の棲家(ついのすみか)」として育てる。新天地の受け入れ側にも、負担だけでなく、それなりの恩恵がある。きわめて共存が難しい諸条件を成立させ、これまでわが国にはほとんど例のない二地域居住を可能にするため次の先例から得失面を抽出、現代への応用可能な仕組みの移植を試みた。明治時代、豪雨災害でふるさとを離れ、北海道空知地方に入植した奈良県十津川村の子孫が建設した新十津川町住民の意識構造、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故による避難者のために作られた町「スラブチチ市」の成り立ちと特徴、1954年の水爆実験で居住地の島が放射能汚染され、今なお避難生活が続くマーシャル諸島ロンゲラップ共同体が苦闘の末、取り戻した誇りの正体。これらの先例を踏まえた二地域居住構想を提示しながら、帰還困難区域を抱える福島県富岡、双葉、大熊、浪江4町の住民意識調査をNHK福島放送局と共同で実施した。調査結果は番組報道や「ふくしま連携復興センター」が主催したふくしま復興まちづくりシンポジウムでの基調講演などで被災県民に広報し、多岐的な復興の道筋について考えてもらえるきっかけをつくった。と同時に研究チームによる公開セミナー「原発避難からの広域避難を考える」を開催、2015年度中に論文特集としてまとめることにしている。
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