本研究は、北海道家庭学校寮長藤田俊二(1932~2014)実践記録一覧を作成するとともに、一寮生について記述した未発表原稿「誰れが悪いのでも無い」の全文を公表し、その教育学的意義を検討した。その結果、本人には罪過がないにもかかわらず引き受けなければならない「苦難」(「罪なき苦難」)に共感しつつ、少年の不運な境遇を藤田が理解しようと努めていたことを明らかにした。この論証を通じて、藤田の実践の場合ユーモアの力とともに「罪なき苦難」経験が自立をめざす決定的な契機として重要であることを究明した。そして、生に対する配慮の行為を重視する藤田の実践は、教育の意味を根源的に問いかける意義があることを指摘した。
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