研究概要 |
平成25年度の研究目標は、明治10年代以降、ドイツのいかなる科学教育論・システムがどのような経路で導入され、その思想・システムの特質はどのようなものであったかを解明する。そこで、ドイツ理科教育史研究の最高峰であるW.Schoeler, Geschichte des naturwissenachaftlichen Unterrichts, 1970 Berlinを全訳した。また、生物教育史関係では、Kecksten, R., Die Geschichte biologischen Schulunterrichts in Deutschland,1981を収集し翻訳を進めた。その中で、日本の明治の理科教育の原型の形成に最大の影響を及ぼしていると思われる Fr. Junge, Der Dorfteich als Lebensgemeinschaft, 1891. Beitraege zur Methodik des naturkundlichen Unterrichts, 1904.を収集し、翻訳・分析を進めた。そして、さらに多くのドイツ理科教育史の資料を収集し、そうした各歴史書におけるJungeの位置づけから、当時のドイツの理科教育におけるJungeの理科教授論の位置づけの解明に努めた。また、並行してドイツ科学教育における人間陶冶の基本構造の解明をすすめ、範疇的陶冶論とその科学教育における実際を事例的に分析した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成25年度の研究目標は、明治10年代以降、ドイツのいかなる科学教育論・システムがどのような経路で導入され、その思想・システムの特質はどのようなものであったかを解明することであり、まず、ドイツ理科教育史研究の最高峰であるW.Schoeler, Geschichte des naturwissenachaftlichen Unterrichts, 1970 Berlinを全訳した。また、生物教育史関係では、Kecksten, R., Die Geschichte biologischen Schulunterrichts in Deutschland,1981を収集し、翻訳を進めた。そして、Jungeの影響が日本の明治の理科教育の原型の形成に最大の影響を及ぼしていることを改めて確認したが、 Fr. Junge, Der Dorfteich als Lebensgemeinschaft,1891. Beitraege zur Methodik des naturkundlichen Unterrichts, 1904.を収集し、翻訳・分析を進めたものの、ドイツ理科教育史でのJungeの位置づけの完璧な解明には至らなかった。
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