わが国において理科は、教授者・学習者の母語である日本語によって教授されている。この言語文化的事実は、理科の授業において従来あまり意識されてこなかった。理科は、日本語に埋め込まれた世界観とは異質の世界観によって構成されているのである。この世界観の相違は、教授者において概念上の混乱を生み、それはそのまま学習者の概念上の混乱として再生される。本研究は、研究期間中におよそ30時間の理科授業の音声記録を収集し、教師の発話に認識論的な吟味を加えることを行っている。予備的な解析によれば、「科学的思考の基盤である物質界とイデア界の区別を教師は意識していない」という傾向が見られた。詳細な検討は今後に俟ちたい。
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