終末期の苦しみは、自身の命に関わる「選択」をすることそのものが「痛み」である。その「痛み」を取り除くことは難しい。一方で、わが国の患者-医師関係は、法的には、準委任として捉えられ、誰が同意権者、拒否権者が法によって定められていない。 今年度のTerminal Sedationに関連する聞き取り調査は、医師2名、看護師3名、弁護士1名、牧師1名である。興味深いことは、「医療者は、はじめ、Terminal Sedationについて、ある種おそるおそる考えていたが、徐々に、実施をすることを前提に検討をし始めるようになった。」「医療者であっても家族の中でおかれている立場によって、Sedationの可否についての意見が言えない。」等、聞かれた。アンケート調査の分析(n=102)では、①緩和ケア医師が重要であると考える項目(項目は、医師より助言を得た)を一対比較により尺度図上に示した(質問の意図は、判断時に何を比較するか明らかにする)。重要と考える順に、症状緩和>患者の鎮静の要望>コミュニケーション>日常生活動作>余命>家族の要望>ガイドライン>自身の精神的つらさ>業務量、であった。さらに「コミュニケーション」と「患者の鎮静の要望」が、同程度、重要であると示された。これは、医師が、鎮静を選択せざるを得ないと考える時のジレンマとして捉えられるのではないかと考える。 患者が、自身の身体的状況を正しく理解することは、容易ではなく、医療情報の捉え方は、医師と患者または家族で異なる場合がある。その為、今後、患者の意思決定プロセスに関する課題を多角的に捉えていく必要があると考える。「終末期のSedationは、場合によって死に至らしめる行為と見えるために、薄い氷の上を歩くような気持ちである。(チェコ在宅ホスピス医師)」と述べられていた。だからこそ人文科学や社会科学の視点から緩和ケアを捉える意味がある。
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