2年間の調査により、約60もの韓国の知的障害者が描かれている文学作品をリストアップすることができた。特に戦前の雑誌、文学作品を重点的に調査、比較文学研究のためのデータベースをある程度構築し得たと考える。作成したデータベースに基づき、3年目に「小川未明「海蛍」論と「青木洪「ミインメヌリ」論」を執筆。前者は小川未明「海蛍」(1923年)と李光洙「少年の悲哀」(1917年)の比較研究。後者は青木洪「ミインメヌリ」(1942年)と桂鎔黙「白痴アダダ」(1935年)の比較研究である。 小川未明「海蛍」では、近代以降の知的障害言説と、結婚制度のリンクがテーマとなっている。知的障害者はまともな人間関係を築けない、社会にとって有害な存在だとする近代医学的な知的障害概念が一般化したことで、大正期の農村のように結婚生活がさほど複雑ではないようなところでも、知的障害者であることは結婚相手として不適格だということを意味することとなった。近代化の思わぬ副産物を描いている。 「ミインメヌリ」の作品世界では、男尊女卑という近代の言葉で表されるような前近代的な価値観・精神と、古くからの婚姻制度とが相互補完的に結びついている。そのため、古臭い精神だけを新しくしようとしても、制度によって絡めとられてしまい、うまくいかない。新しい価値観・精神とそれにあった新制度、両方同時に変える必要のあることが示されている。 韓国作品との比較で気付いた点だが、日本近代文学では知的障害者の結婚がテーマとなることはほとんどない。逆に、戦前の朝鮮の文学で知的障害者の結婚がテーマとなることが珍しくないのは、韓国では知的障害者を収容する施設等がほとんどなかったことや、男子中心の結婚制度と関係しよう。比較文学により、戦前の日本文学における新たな知的障害者表象の特徴を明らかにすることができたことが、本研究の成果である。
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