報告者は本研究において、第二次世界大戦期の日本=アフリカ関係の態様を、日本とアフリカ双方の史資料を用いて明らかにすることを目指してきた。研究最終年度にあたる2015(平成27)年度は、東アフリカ及び西アフリカにおいて現地調査を実施し、第二次世界大戦の直前期(1936年)にアフリカ一周視察旅行を実施した小島威彦らの足跡を辿り、彼らの出版物に表出する情報の裏付け作業をおこなった。また、イギリスの英国図書館新聞資料室(Newsroom)において、第二次世界大戦期の英領黄金海岸(現在のガーナ)で発行された新聞の最終的な確認調査を実施した。さらに、日本の国立国会図書館等では、1930年代から戦時中にかけての新聞及び政府・民間発行の調査報告書の調査を実施し、第二次大戦期日本の言論空間に表出した「アフリカ観」の検討をさらに進めた。その結果明らかになったことは以下の通りである。 同時期の日本の言論メディアは、アフリカにおける「米英の帝国主義」を否定し、ビルマ戦線に派遣されたアフリカ人兵士については一貫して「米英の帝国主義」の被害者として扱ったが、その一方で、アフリカ人を指す際にしばしば「土人」という言葉が用いられていることに端的に現れているように、アフリカに対する優越意識を示す表現が散見された。さらに、「大東亜共栄圏」の名の下に、北東及び東南アジアへの占領政策を進めた日本政府に対して、日本の言論メディアは(政府の検閲の影響もあり)「興亜」の文脈で支持を続けた。アフリカにおける「米英の帝国主義」は否定し、自国の膨張政策は否定しないという矛盾する立場は、欧米諸国との対抗意識を主軸に据えた当時の日本の世界観を反映したものであった。それゆえ、第二次大戦期の日本の言論メディアは、アジアにおける自らの膨張政策を正当化するために「米英の帝国主義の被害者」としての「アフリカ」を利用したとも言える。
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