1.5月に花園大学において開催された「臨済禅師1150年遠諱記念『臨済録』国際学会」では、「玄沙の臨済批判の思想的背景」の題で口頭発表を行い、さらに内容を吟味してすでに論文集出版用の原稿を提出した。当該論文では昨年度に発表した「大慧宗杲における華厳と禅」の前半部分を基礎としつつ、唐代禅思想史における雪峰義存の思想の意義と、そこから玄沙―法眼宗の思想へと展開する過程について考察を深めた。雪峰義存とその後継者は、それ以前の「『作用即性』批判」を克服し、自己の仏性が世界全体に拡張されるような境地を目指していたと考えられる。この点において、雪峰とその批判者である玄沙の問題意識は同様であり、玄沙の批判はこの点には向けられていなかった。いっぽうで玄沙―法眼の系統に属する人々は、個人の存在を越えて宇宙に充満する仏性の在り方を明確に定式化し、この点に独自性を示した。論文では、玄沙の思想において、「我」の実体化に対する危惧が多く現れていることを指摘したが、これは、「見聞覚知」を介して自己の仏性を宇宙大に拡大しようとする思想への批判を示している。またこのような定式化を理論面で支えたのが、華厳の「事事無礙」的な観点だった。また、玄沙の理論はその後に早くも教条化したようで、それに対する批判も早い段階で現れている。以上の経緯から唐末五代における禅思想の転変の一端がうかがえる。 2.研究会における会読の成果として「『一夜碧巌』第三則訳注」を発表した。この則は「馬祖日面仏月面仏」の公案を本則とするものである。公案自体が難解であるが、頌、評唱で展開される解釈は、公案に何か素晴らしい意味があると思い込んで詮索することの愚かさを説き、ある意味で解釈そのものの放棄を主張するものと言える。これは宋代禅者の唐代禅宗公案に対する解釈の実態を示す好例である。
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