唐末福建の雪峰教団は雪峰系と玄沙系という二つの系統に分裂していった。その背景には思想的な原因があり、玄沙―法眼系の禅僧は個人を超越し、世界に充満する仏性の体得を目標とした。これは唐代禅の思想的営為の一つの結論といえる。また北宋代の禅僧である契嵩は、その著書『輔教編』で、当時の排仏論から仏教を護るため、仏教が社会秩序の維持に貢献しうることを主張した。その論理体系においては、社会秩序を維持する手段として「因果応報」の観念が重視された。また仏教の他教に対する優位性として実践性を重視した。これは無事禅批判の先駆けとなるものであった。
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