研究課題/領域番号 |
25770031
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研究種目 |
若手研究(B)
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
箱田 徹 立命館大学, 衣笠総合研究機構, 研究員 (40570156)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 思想史 / フーコー / フランス / 社会哲学 / 20世紀 / 倫理学 |
研究概要 |
フーコーにおける真理の問いと史料との関係を検討するため、Michel Foucault (ed.), Herculine Barbine dit Alexina B.(1979)を中心に研究を進めた。同書は19世紀フランスの性分化疾患当事者(半陰陽者)エルキュリーヌ・バルバンが記し、死後発見された回想録と関連する医学文献・身分関係書類からなる。フーコーはその英語版に寄せた序文「真の性」で「幸福な定かならぬ世界」という表現を用い、バルバンが女性として生きた経験の特徴を捉えようとした。しかしこの議論をジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル』で批判する。アイデンティティの「定かならぬ」あり方を肯定的に描くフーコーの態度が『知への意志』での権力の臣従化作用の議論と矛盾すると論じるのだ。 だがバルバンの回想録とフーコーのテキストの主題は、主体化権力と法への「抵抗」という二項対立や悲劇的な運命論とは別のところに認められる。回想録からは、バルバンが本人なりの身体との付き合い方を通して豊かに生きていたことが読み取れる。他方でフーコーは、人は「唯一の真の性」を持つと定める近代医学の真理体制におけるバルバンの生を「深慮と分別」という表現で描き出す。あえてすべてを問わずにおくキリスト教的「深慮」と、すべてを解明する科学的真理の「分別」とがせめぎあい、深慮が分別に道を譲りつつある状況のことだ。フーコーにとって「アイデンティティのなさ」とは「誰であるか」を問われることなく、また「あえて」問うこともない逆説的な慎み深さに成立した状態だったのである。 以上の議論から、フーコーは史料を真理と主体との具体的な関係の表れとして扱うことで、元のテキストの読み手に実在の生のあり方を鮮明にイメージさせること、またそれを通じてある歴史状況における権力関係を描き出していることを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度に刊行した単著『フーコーの闘争』で展開したフーコー統治論の立場から、フーコーの真理概念と史料との関係を考える試みの第一段階を終えることができた。フーコーの史料への関心は、1970年代終わりには「汚辱に塗れた人々の生」をめぐる主題となることで知られる。行政権力によって自由や生命を奪われたがゆえに、逆説的にその存在が記録され留められた無名の人びとをどう扱うかという問いだ。本年度はこれを通説のように権力概念との関係で捉えるのではなく、真理概念との関係で捉えた。フーコーが真理による主体化を考えるとき、個人は「客観的」真理を介して従属的に主体化するというだけでは不十分であり、個を取り巻くさまざまな真理(ほんとうを述べる言説)といかなる関係にあるかを問うていたことに注目すべきと考えたからだ。本年度の研究はこの点をテキストに即して明らかにし、次年度以降の研究に道筋をつけた。
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今後の研究の推進方策 |
本研究開始後に刊行されたフーコーのコレージュ・ド・フランス講義録『懲罰社会』(2013年)と『主体性と真理』(2014年)における真理論を、フーコーの歴史記述をめぐる論争状況や、フーコーが関わった『不可能な監獄』(1980年)『家族の無秩序』(1982年)と付き合わせながら議論する。また『ピエール・リヴィエール』(1973年)が当時の社会運動や思想動向に与えたインパクトもあわせて考察したい。
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