昨年度はミシェル・フーコーにおけるアーカイブと真理の関係を主に考察した。今年度はこれを発展させるため、まずエルキュリーヌ・バルバンにかんする日本語投稿論文を改稿し、フーコーのいう「友愛」が「法」の定めるセクシュアリティのコードへの批判として作用する点をさらに考察し、新たな英語論文として刊行した。この作業で深めた統治と主体をめぐる論点を軸に、真理と歴史が後期フーコーの著作のなかで果たす役割を「内戦」という観点から論じた。内戦の語は1970年度後半に歴史と真理というフーコーの鍵概念を橋渡しするように表れる。学会発表と日本語論文ではフーコーの1975年のコレージュ・ド・フランス講義『社会は防衛しなければならない』の内容を分析しながら、この点を浮き彫りにして1970年代半ばのフーコーの思想的展開を明らかにした。 この2つの取り組みをつなげるのは「真理ゲーム」の概念だ。1970年代後半の段階では〈権力-知〉という権力と抵抗の枠組みのなかにあったこの語は、1980年代になると「パレーシア」、つまり「ほんとうのことを言う」の議論で機能する。一見すると真理と権力の問題を個人や集団の生き方という意味での倫理の問題に押し込めるような動きだが、フーコーは次第に真理ゲームの政治的側面を前面に押し出すことで、倫理の問題と政治の問題を同じ一つの土俵で扱うことを試みる。この点を踏まえるならば、真理ゲームという概念を通じて、社会内部の「敵」を相手にする「内戦」の構図が、ミクロなレベルとマクロなレベルでいかに展開しているのかを考えることは、「権力から統治」という図式のもとで後退したかに見える「権力」と「真理」の関係を再び考察する際の鍵になりうると指摘した。 次年度からは、2000年代後半以降、現代の経済社会文化状況を語るキーワードとして世界的に「内戦」が浮上していることの思想史的含意を考察する。
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