本研究は、中国明末期の書画論を渉猟することにより、所謂「書の時代性説」「南北宗論」等で著名な董其昌(1555-1636)の理論を相対化しつつ、当時の書画理論がいかに展開したかを探るものである。主に、(1)董の書画論における、最終的な知見に至るまでの変遷とその契機を示すこと、(2)未公刊資料などから、同時代人の書画思想や、鑑賞・出版活動の実態を窺うことの2点に取り組んでいる。 本年度では、まず、董其昌の米フツ(1051-1107)書法に対する評価について考察した。従来は、彼が米書「蜀素帖」(台北・国立故宮博物院蔵)に跋していることなどから、米を高く称賛していたものと解釈されてきている。しかし、顔真卿(709-85)書跡への評価(拙稿「董其昌における顔真卿書法評価の変転とその契機」、『国語国文論集』第44号、2014)と同じく変遷を想定することができ、その書論から50歳前後で貶斥に転じたと推測される。そのため、彼が好んだ米書や、その書法観に影響したであろう明末の出自不明米書の出現について検討を加えた。 董は「蜀素帖」跋において積極的な評価を行わず、他の書跡に言及することが多いため、同書のような筆の制御の利いた書法を評価していなかったと推測される。一方で、「西園雅集図記」など細線で書かれた書跡を好む傾向が確認されている(拙稿「歴代書跡に対する董其昌の鑑定・評価基準―チョモ系「蘭亭序」に近似する一群の書跡の存在から―」、『書学書道史研究』第23号、2013)。彼の活躍時期以前より、同様の書風を示す出自不明の米書が法帖として刊行されており、董の知見・好尚はこれらによりもたらされた可能性があることを指摘した。 また、本課題におけるこれまでの成果をまとめ、台北・国立故宮博物院の展覧会図録『妙合神離―董其昌書画特展』(後掲)に発表した。
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