本課題は天明~寛政期に勝川派によって確立された相撲浮世絵の展開について研究を行うものである。勝川派の粗である勝川春章は、役者絵で培った似顔表現を元にしつつ独自の様式で勧進相撲の力士を写実的に描き出したが、春章が相撲絵の制作から退くと、客観性の高い描写は次第に定型化へと向かう。天明末期以降は、春章の高弟である春好、春英が制作を先導したが、寛政期を過ぎる頃には体躯描写が誇張されるようになり大型化した。また、作品数は増加したものの、構図や様式に創意は見られなくなる。同時期の役者絵との比較からは、相撲絵に購入者が求めたのは美しさよりも力の象徴でもある逞しい体躯表現にあったと考えられる。
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