本研究は、近世・近代の日本において、明清時代の中国の詩論がどのように受容されたかについて考察したものである。とくに江戸後期の漢詩壇に大きな影響を与えたとされる、明末の文人袁中郎(袁宏道、1568-1610)について集中的に検討し、近世日本における袁中郎に関する多様な理解のあり方を、様々な資料を用いて明らかにした。このほか、袁中郎を信奉し、古文字派打破を主張した山本北山(1752-1812)が、『梨雲館類定袁中郎全集』の不備など、袁中郎のテキストの複雑さに関心を持っていたこと、また、北山一派が編纂した『三家絶句』などの袁中郎の詩文集は、本文校訂などの点で興味深い問題を含むことを指摘した。
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