藤原定家の監督書写本が私家集に多く、その他にも少ないながら存在することの意味について考察し、まとめをおこなった。 私家集が多いことについては、歌の家として勅撰和歌集を撰集せよという下命のあった際に備えその資料とするべくできるだけ多くの私家集を書写し収集していたことは、これまでにも指摘されていたところで、このことに定家の写本が自らの筆ではなく側近に書写させたものであることを照らし合わせて見たとき、権門からの依頼によって書写するような外に提出するものではなく家に蔵するものとしてあるので、側近の書写で充分であったことに符号する。 しかし、同じ側近たちが勅撰和歌集の撰歌資料とはなりえない歌学書や物語なども少なからず書写していることは、どのような意味があるのか。このことについて、撰歌資料とはなり得ないもののうちに見える定家の関わりを丁寧に検討することで考察を加えた。例えば、『俊頼髄脳』に見える定家の奥書からは、定家がこれを何かの時のために謂わばコレクションのような蔵書としておくために所持していたのではなく、自ら読みその内容を研究していた様子が見えている。『源氏物語奥入』には、定家が何度もこの『源氏物語』を読み、奥入を何段階にも渡って書き加え続けていた証が残されている。これらのことから定家による監督書写は定家の古典研究そのものであり、その結果として歌の家の大切な蔵書となっていったものであるということが見えた。これらうち、『源氏物語』については「定家監督書写の源氏物語」として、また『源氏物語』以外の写本については本研究全体のまとめとなるべく「藤原定家の監督書写と和歌研究」として論文にまとめた。
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