長期間にわたる記録の伝統をもつ言語資料を調べれば、言語がどれほどその音韻を変化させるかは一目瞭然である。印欧語族はその歴史的推移を如実に示す言語系統であり、そこに属するイタリック語派の諸言語、とりわけラテン語は、多種多様な言語変化のパターンを我々に提供してくれる。しかし、その詳細なメカニズムの解明が進んでいない現象や語彙などが残されており、その背景にある要因を探るのが本研究の目的である。 まず、古代ローマの軍神マルスMarsの別名Mavors(いずれもラテン語)がどのようにして形成されたのか、その言語学的背景と使用例から浮かび上がる宗教的・社会的機能について研究を進めた。その結果、Mavorsの祖形*Mamarsが音韻変化を経ることで別の無関係な語と音韻配列に関し類似性をもつに至ったため、その語に引き寄せられるようにして語形の変形が起こったという可能性が示された。この研究成果は学術雑誌への掲載が決定している。 また、ラテン語のアクセントの歴史について、新たな展開を提示することにも挑戦した。このテーマに関してはラテン語資料が登場する時期に軸足を据えた研究が多かったが、近年、印欧祖語におけるアクセント規則を念頭に置きながら、ラテン語の先史時代についても分析が行われている。私自身、これまで注目されることのなかったラテン語の音韻上の性質とこの問題を結びつけることで新たな展開を開くことを試み、研究会で口頭発表を行った。そして、これが、平成28年度に新たに獲得した科研費による研究のメインテーマとなるに至った。 ラテン語と同じくイタリック語派に属するサベル諸語については、母音の脱落現象に関して分析を進め、論文の形に近づけることができた。ラテン語のcrinis「髪(の房)」という語の来源に関しても、UCLAの大西貞剛氏との共同研究を進め、それに関わる音韻の歴史についても多くのことを明らかにし、学会発表も行った。
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