朝鮮語通詞たちが語学書として用いていた朝鮮語学書は、成立過程が不明なものが多かったが、近年の研究から、これらの語学書の文例の成立には当時の歴史的事件が関わっている場合があることが分かってきた。 本研究は、江戸後期から明治初年まで広く朝鮮語学書として使用されてきた「講話」をとりあげ、「講話」の成立過程をあきらかにするべく、とくに、「講話」巻2に収録された文例の題材となった事件を対馬宗家文書等の歴史資料から特定し、文例の対応関係から、その成立過程を明らかにしようとするものである。 巻2は、外交の交渉案件に関する内容の文章が全15条おさめられている。これは巻1とは異なり、各条間にとくに前後の関連なく、脈絡なく羅列されている。これら巻2におさめられている文例は歴史的事実を背景とするものとみられ、そのうちのいくつかは対馬宗家文書などの歴史資料に対応する記述を確認できた。 具体的には1750年代に日朝間で問題になった「一特送使下行廊失火」及び「特送使下行廊改建築」の記事、「単参改品」の記事、「八送使停止」の記事などの参照元と思われる記録類を突き止めた。これらの成果は2015年8月17日~19日に中国延辺大学でおこなわれた第四回中日韓朝言語文化比較研究-国際シンポジウム-にて発表をし、その後同大学で出版される『日本語言文化研究』に投稿し、2016年5月第四輯に掲載が決定している。 また、「講話」の巻1には、歴史資料の他に朝鮮司訳院でつくられた倭学書類(「捷解新語」など)対馬で編纂された朝鮮語学書類(「朝鮮語訳」「隣語大方」など)引用・参照したと思われるものがいくつか含まれている。それらの対照比較は引き続き研究をすすめている。
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