本研究では、「鎖国」・「海禁」といった徳川幕府による対外政策を骨抜きにしていた境界領域の人々の行動様式に着目し、彼らが構築していた政治社会と国家権力との関係性を分析することで、境界領域からの視点で近世の国際関係をめぐる国家史的理解を再構成するとともに、前近代の東アジア海域におけるトランスナショナルな交流・接触のあり方の歴史的特質を抽出する作業を進めてきた。 (1)西海地域における私貿易・密貿易(抜荷)の具体像と、その担い手の行動様式を解明するために、長崎を中心とする西海地域で発生した密貿易(抜荷)の記録をリスト化し、これを基礎にして、「鎖国」貿易体制のもとで貿易を生業としていた長崎の住民、さらには長崎で生み出される貿易利潤の恩恵に浴していた個別領の住民の視点から密貿易の歴史を再構成する作業を行った。 (2)私貿易・密貿易に対する国家権力の対応と、藩権力の関わり方を解明するために、密貿易に対峙した幕府と藩の具体策を分析した。とくに、天草久玉山と豊前大里に設置された抜荷番所、そして西海地域への漂着に関わる歴史資料の現地調査と資料蒐集を行い、幕府と九州諸藩による境界勢力への対応のあり方について分析する視座を獲得した。 (3)長崎を中心とする西海地域から日本列島に流入した異国・異域の文化の浸透状況と、それらが各地の地域社会に与えた影響について分析を進めた。 (4)近世・近代移行期の開港場が、その機能を果たすために必要とした人材や資源の獲得の方法について、長崎の異国人雇い人足や神戸の石炭供給の問題を素材に調査・研究し、開港場行政の存立実態について分析を進めた。
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