主要研究対象地と設定した埼玉県入間郡大井地域に関する医療運動の展開を、敗戦から高度成長期までを通して明らかにした。 第1に、敗戦前後の大井医院・大島慶一郎医師の医療運動の特徴を明らかにした。大島医師は、生活・医療環境が劣悪ななか保険診療と往診を徹底して行い地域において支持を集めた。第2に、朝鮮戦争期の特徴を明らかにした。占領後半期には、大井医院に対して閉鎖が通告されるなど、地域で反共政策が展開されたが、大井医院は診療活動をさらに活発化させ、患者、医院利用者を組織して閉鎖裁判闘争を乗り切った。第3に1950年代について検証した。1954年入間医療生活協同組合(ながいき会)を設立して、医療者、患者、利用者による診療所運営に取り組んだ。都市化の進行とともに、住民の医療要求も変化していくと、ながいき会は、都市部の新住民を対象とした運動を展開した。財政的な余裕ができて多様な取り組みを始めた。一方で、初期から支持されてきた無医地区の農村地域への取り組みは停滞する。第4に、高度成長期の取り組みを検証した。ながいき会会員は、60年代以降、村政へ積極的に進出し、地域医療・福祉の充実に力を注いだ。70年代に保守系町長は、保守系議員からの批判を受けつつも大井医院の勢力と協力して、「経済一辺倒」ではなく「いのちとくらし」を重視する町政を推進した。 高度成長期の地域社会において、「保守」対「革新」、あるいは「革新自治体」や「新住民」に注目が集まるが、本事例では、「開発」に対抗する地域のあり方を構想できたのは、大井医院・ながいき会に集う人びとであったことを検証した。戦後日本の地域社会の形成を検討する場合、敗戦直後から朝鮮戦争期をくぐり、50年代の地域においてどのように地域のあり方を模索してきたかを検証することが重要である。 基本史料として「大井医院・大島慶一郎関係資料」を整理し、仮目録を作成した。
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