研究課題/領域番号 |
25770239
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研究種目 |
若手研究(B)
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研究機関 | 鹿児島大学 |
研究代表者 |
佐藤 宏之 鹿児島大学, 教育学部, 准教授 (50599339)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 薩摩藩 / 島津家 / 奥向 / 奥日記 |
研究概要 |
本研究は、1)薩摩藩の奥向構造の人的・組織的・史料的な全体像の把握と復元すること、2)復元した奥向をそれ自体が独立した組織ではなく、表向(政治の場)と相互に補完し合う「政治機構」として、藩政に果たした役割を大名・藩研究のなかにしっかり位置づけることを目的とする。したがって、同時代の、異なる人物の手元で作成された複数の奥日記を分析対象とすることで、奥向構造の人的・組織的・史料的な全体像を把握・復元するという研究方法を採った。 2013年度は、すでに翻刻・分析作業に着手していた文久4年、慶応2年の「蔦印(島津斉興の側室・久光の母)日記」各1冊に加え、文久4年の「弓印(島津斉彬3女・島津忠義正室)日記」1冊、「槇印(斉彬5女・島津忠義継室寧姫」日記」2冊、慶応2年の「表方右筆間日記」1冊、「弓印日記」1冊、「槇印日記」4冊をデジタルカメラで撮影し、翻刻・分析作業を行った。 特に奥日記の記述の中心である贈答行為や御機嫌伺いなどの儀礼・交際面に着目し、人物構成・職制・人物交流の範囲などを比較しながら全体像を把握することができた。また、人物比定や用語集など今後研究をスピーディーに進めていくための基礎データを集めることができた。 2014度は、上記の基礎データをもとに安政4,5年の11冊の奥日記を分析対象とし、デジタルカメラによる撮影を行う。薩摩藩にとって、この時期は藩主島津斉彬が一橋慶喜と初対面を実現したり、集成館事業を完成させたりと藩内外で活躍するが、その斉彬が安政5年7月に急逝し、跡を茂久(忠義)が継ぐという「御家」存続の危機に直面した時期でもあり、その「御家」の存続戦略を解明する。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
奥日記中に現れる人物比定に思いのほか時間を要したため、人物構成・職制・人物交流の範囲など基礎となるデータや見取り図の作成に終始してしまったことが理由である。ただし、このデータや見取り図は今後の研究を円滑に進めていくうえで基礎となるデータであることから時間を掛けて作成した。
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今後の研究の推進方策 |
2014年度は、2013年度に作成した基礎データをもとに、安政4,5年の奥日記11冊の翻刻・分析をスピーディーに行い、儀礼・交際を分析する研究から政治文化構造や秩序維持システム、「御家」の存続戦略を解明する研究動向との接合を図る。また、これらの研究成果を学会・研究会で発表するとともに、研究論文としてまとめることを目的とする。
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