2年間の研究期間の最終年度にあたる本年は、夏期にウィーンとベルリンの文書館および図書館で1か月間の研究調査を実施し、研究成果のとりまとめに必要な史料の収集拡充に努めた。こうして新たに入手した史資料をもとに、本年度の研究活動では以下のような成果を得ることができた。帝国主義時代の海外との関わりにおいて、ハプスブルク帝国は他の列強と比べ世界に展開するパワーや利害関心を欠いており、それゆえ、この西洋の大国は「植民地なき」帝国にとどまっていた。しかしその一方で、海外に軍艦を常駐配備していた事実があり、本研究はこの点に着目して同国とグローバルな帝国主義世界との関係性に迫った。研究初年度(前年度)の史料調査を通じて、東アジアに駐留したハプスブルク帝国の軍艦は、日常の交流のなかで他列強のさまざまなアクターと結びつきを保ち、帝国主義の支配者の一員として自らのステータスや威信を固めていた様子が明らかになった。本年度は、特に文化的な交流活動の事例を拾い集め、軍艦に随行していた軍楽隊の積極的な活用とスポーツイベントへの水兵派遣などの各種事実を掘り起した。政治経済面では他国に劣るハプスブルク帝国は、音楽やスポーツに強みを持つこの国独自のやり方で東アジアの列強社会にコミットし、帝国主義「八か国連合軍」のメンバーとしての自己主張を日常的に継続していたのであった。 以上のように、本研究はハプスブルク帝国の海軍に関する文書館史料を徹底的に精査するなかで、この国の植民地主義や帝国主義との関係性に踏み込むことに成功した。従来、ハプスブルク帝国は大洋から隔てられた大陸帝国と見なされ、「帝国主義」や「東アジア」という枠組みで考察されることはほとんどなかったため、一国史(ハプスブルク帝国史)としての新事実の発見はもちろんのこと、トランスナショナル史や帝国主義研究の領域においても新たな知見をもたらすことができた。
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