研究課題/領域番号 |
25770282
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研究種目 |
若手研究(B)
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
松本 雄一 山形大学, 人文学部, 准教授 (90644550)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 文明形成 / 儀礼 / 居住域 / 神殿 / 地域間交流 / 国際情報交換 / アンデス形成期 |
研究概要 |
ペルー中央高地、カンパナユック・ルミ遺跡において発掘調査を行った。本年度の調査では、「文明の初期段階とされる神殿を中心とした社会がどのように成立したか」というテーマを生業体系や社会組織の側面から明らかにすることを目指しており、そのために形成期(紀元前3000~0年)に焦点を当て、従来研究の中心であった神殿以外にその周囲の居住域においても発掘調査を行った。 神殿建築の調査においては、神殿建造以前の活動の痕跡を確認することができた。すでに土器をもつ人々が地域に居住しており、その土器は最初の神殿建築に対応する土器と類似していることが分かった。このことから、神殿の建造にはそれ以前から居住していた人々が深く関わっていた可能性が指摘できる。神殿の建造には、外部からの集団が関わっていたとする以前のデータとあわせることで、集団間の交流が神殿の成立とどう関わっていたかを考察することが可能となった。 居住域は神殿の北と南に位置しており、双方に1つずつ発掘区を設けた。南北どちらの発掘区においても神殿とは異なる儀礼空間が発見され、居住区において独自の儀礼が行われていたことが分かった。南側の居住区では、柱を円形に配置した空間の中から少なくとも7つの頭骨が確認され、人間の首を奉納物としたと考えられる。この空間からはアンデス考古学史上においても希少な「神殿の模型」と金製品、遠く離れた南海岸から運ばれてきた土器も出土しており、これらを儀礼で用いた際のプロセスが復元可能である。極めて貴重なデータといえるだろう。北側の居住区では、住居とは異なる円形の建築が出土し、こちらでも「神殿の模型」と考えられる土製品が出土している。 神殿と居住域で全く異なる儀礼が行われていたという、同時期にこれまで確認されたことのない貴重なデータを得ることができた。従来自明のものとされてきた神殿と居住域の関係に再考を迫る成果といえる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本調査ではカンパナユック・ルミ遺跡の神殿と居住域の両方を発掘することを通じて、1)生業体系・社会組織の通時的変化、2)遺跡の編年、3)山地と海岸部の地域間交流、の3点を考察することを目的としてきた。全体としてはおおむね順調に進展しているが、その達成度は1)~3)の各テーマによって若干異なっている。以下で詳述する。 1)神殿と居住地で異なる儀礼空間が存在することが明らかとなり、希少な金製品などを副葬品として伴う埋葬が出土したため、社会組織に関する点に関しては予想以上のデータが得られた。一方で、出土したコンテクストが住居ではなく儀礼に用いられた空間であるため、自然遺物の分析から生業を復元する際には注意が必要であろうと考えられる。 2)以前の調査では、居住域の発掘規模が小さかったため神殿との編年上の対応関係を明確にすることが困難であった。本調査では、居住域の建築と土器様式の明確な対応関係を捉えることができた。これによって遺跡編年を精緻化するという目的は達成しつつあるといえるが、今後放射性炭素年代測定によって絶対年代のデータを得る必要がある。 3)神殿の北と南に位置する居住域からは、200km以上はなれた海岸部との交流を示すデータを得ることができた。また、海岸から持ち込まれた可能性の高い遺物が人間の頭部を埋納する儀礼とセットで確認されたことから、これまで分かっていた遺物の様式だけではなく、双方の間で儀礼行為自体が類似していた可能性が示唆された。形成期における遠隔地交流と神殿社会の展開を関連付ける貴重な成果である。 このように当初の研究目的をほぼ達成しつつあることに加え、アンデス史上でも希少な神殿の模型や金製品など予想外の発見も多く、極めて実り多い調査であったといえる。
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今後の研究の推進方策 |
本研究課題の今後の推進方策に関しては、二つの側面から考える必要がある。まず一つ目は今回のカンパナユック・ルミ遺跡の発掘調査において得られたデータの活用であり、もう一つは今回の成果に基づいて今年度に行う予定の、インヘニオ河谷中・上流域の踏査である。 今回の発掘調査では、儀礼が行われた遺構が発見され、予想を超える量の遺物と資料が出土した。これらの遺物の分析は現在も進行中であるが、今後特に重要なのは放射性炭素年代測定法による遺構の絶対年代の決定である。儀礼で使われた遺構から出土した炭化物の試料は後代の撹乱を受けておらず、遺跡の編年を精緻なものとする格好の機会であるといえよう。また、遠隔地から運ばれてきた遺物と共伴する資料を測定することで、海岸部と山地の交流がいつ起こったかを明らかにすることができるだろう。 今年度のインヘニオ河谷中・上流域における踏査は、本調査によって明らかとなった山地と海岸部の交流を海岸部から捉えなおす試みと位置づけられる。中央アンデスでは、形成期後期(紀元前800-250年)の神殿社会の展開に、遠隔地間の交流が重要な役割を果たしたことが知られているが、地域間の具体的な関係を実証的なデータで示すことができた例は少ない。インヘニオ河谷中・上流域は、カンパナユック・ルミ遺跡とペルー南海岸を結びつける地域であり、体系的なセトルメント・パターンの調査を行うことで両者の関係をより具体的に考察することが可能となるであろう。 本調査で出土した遺物の分析と今年度行う予定の踏査のデータを組み合わせることで、社会の変化と地域間の交流の関係というより大きなテーマを実証的に考察してゆきたいと考えている。
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