最終年度も継続的に実地調査をおこない、西周王朝の中心地とされる周原遺跡姚家墓地より出土した馬骨調査を中心にデータの集積に努めた。このほか、秦律にみられる馬匹生産にかんする記述の整理を重点的におこない、動物考古学的分析結果と対照させた。 実地調査では、これまで実施した少陵原西周墓地と豊鎬遺跡に加え、周原遺跡の資料が加わったことで、西周王朝における馬匹生産体制の実態をより詳細に議論できる素地が出来あがった。そして、戦国時代の秦国王陵祭祀馬坑、前漢景帝陽陵陪葬坑出土馬の分析成果とあわせることで、西周時代から前漢時代にいたる馬匹生産体制の形成過程を通時的に議論でき、また他地域と比較検討できる基盤が整った。 『雲夢睡虎地秦簡』を中心とした秦律の整理では、馬匹生産にかかわる具体的な様相が把握できた。例えば「秦律雜抄」には、馬が馬籍簿で厳格に管理され、良馬としての条件が規定されている。この規定は『岳麓秦簡』にも確認され、漢律にも受け継がれている。秦始皇帝陵兵馬俑坑の軍馬俑の体高はこの規定と一致している。しかし、実際に同時期に出土した馬骨の動物考古学の成果では、体高は115~154cmの範囲であり、規定よりも低い小型馬も利用されていた実態が明らかとなった。また「田律」や「倉律」には、馬を飼養する芻秣を徴収する規定や使役馬への給餌規定が厳格に定められ、労役が激しい伝馬といった使役馬には栄養価の高い禾の給餌が認められており、同位体分析結果に表れたC4植物の摂取率が極端に高い個体は、この伝馬であった可能性が想定された。 このほか、奈良文化財研究所との共同で公開している、動物骨の三次元計測データベース「3D Bone Atlas Database」における馬のデータを刷新した。これにより、実地調査に標本や骨格図譜を持ち込むことなく、遺跡から出土するほとんどの馬骨の同定作業が可能となった。
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