アメリカの表現の自由論に与えるフェミニズムの議論のインパクトを研究するなかで、アメリカにおける同性婚論争に関心を持ち、フェミニズムが伝統的に批判してきた公私二分論を確認しながら、それが現在の社会問題においてどのように問題化するかを同性婚の問題に引き付けながら考えた論文を公表した。 そこでは、本研究課題で設定していた、フェミニズムが新たな憲法問題に対してどのようなアプローチをとるかという問題関心をベースとして、婚姻は公権力による表現的諸利益であり、表現のゲームとも言いうるという議論を紹介し、検討した。 当研究課題の目的の中心は、フェミニズムの議論が主流派の憲法理論に対して、どのような影響力を持つのかということだが、それを検討するうえで、公私二分論とその批判を考えることは避けられない。公私二分論は、フェミニズムが批判するように、家父長制や性別役割分業とも連動するジェンダー不平等の淵源であるとは確かに言えそうであり、現在の女性像にそれが残存していることも否めないものの、他方で、現在の日本において女性に期待・推奨される社会の労働力としての像との不一致の問題はより深刻なのではないかと考えた。すなわち、フェミニズムによる公私二分論批判を超えて、新たな憲法解釈や社会問題に向き合うことが求められる。そのことを論じるのに、「家族」の問題が第一に迫り、それに向き合ったが、さらに続けて、表現の自由論の場で論じることまでに至らなかった。公私二分論を超えて、女性はどのような個人像を設定することが妥当なのか、設定しうるのか、という点について、確定的な結論を得るには至っていないものの、研究を進めることはできたので、そうした総論を表現の自由論という各論に接続することをさらに進めていきたい。
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