本年度は,昨年度の調査に引き続き,刑法37条の起草当時のヨーロッパにおける緊急避難論の調査・検討を行うとともに,英米独の現在の議論状況の調査に取り組んだ。前者については,主たる検討対象国を当時のドイツとイギリスに設定し,起草への影響可能性の観点から,ドイツについてはリストの著書とそこに引用されている諸文献,イギリスについてはスティーブンの著書とダッドレー事件前後の議論状況について立ち入った調査・検討を行った。成果の一部は法学協会雑誌132巻7号1292頁以下及び同133巻5号555頁(2016年5月公表予定)にまとめている。他方,後者については,当時の議論のその後の推移に焦点を当てつつ,各国の判例及び学説の整理・検討を行った。成果の一部は東北法学79巻6号495頁以下にまとめている。成果のうち特に注目すべきなのは次の点である。すなわち,害の均衡を不処罰の要件とする当時の見解は「害悪の最小化」という発想を基礎にする一方で,それ以外の規範的考慮を排除することを必ずしも意図しておらず,心理的圧迫を不処罰の重畳的要件とする見解等が有力に主張されていた。重要となるのは「害悪の最小化」という規範的考慮の射程に係る理解であり,当時の独英においては,その射程を限定する理解の方が一般的であった。これらの点を踏まえると,刑法37条の立法趣旨につき先ず問われるべきなのは,上記のような議論状況において起草者が害悪の最小化を「徹底」する理解を意識的に採用したかであるが,現時点ではそうした立法的決断をうかがわせる確たる事情は見あたらないように思われる。現在日本においては,刑法37条の背後に「優越的利益原理」を見出し,①これのみに基づいて同条を解釈するのみならず,②これを違法阻却の一般原理にまで高める理解が有力に主張されているが,少なくとも立法趣旨の見地からは,①②のいずれも再考すべきものと思われる。
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