【目的】本年度は中ソ同盟の三層構造分析のうちの第三層を研究した。1950年代半ばまでに中ソ同盟がどのような南北対立の淵源を抱えていたのかを研究することを目的とした。 【内容】中ソ同盟の第二層――中ソ分業――が、第三層――南北対立――の淵源になったことを明らかにした。中ソ分業は「中国革命」の経験をアジアに適用することを想定していた。それはソ連などの外部援助を「副」、現地革命勢力の自力更生を「主」とする構想でもあった。ここで、ある矛盾点が生まれた。アジアの革命運動を推進するにあたって、一方では冷戦という「二陣営論」の下、モスクワの役割が求められるが、他方では「中国革命」の経験に基づいて北京が主導役を果たすことにもなる。この矛盾点は当初、党レベルの「非公式」な革命援助を主体にしていたため顕在化しなかった。しかし1950年代半ば、「雪解け」の下、政府レベルの外交攻勢[周辺諸国との通常の国家間関係構築]が活発になると、この矛盾が顕在化することになった。なぜなら、アジアという第三世界において主権国家からなる国際関係を構築することは、ときに民族解放運動や台湾政策の強硬化につながり、ソ連の進める平和共存政策との間に緊張が生まれるからである。 【意義】従来の研究では、第二層と第三層を区分けして、明示的にその関係性を問うということが少なかった。本研究では第二層が第三層の淵源になっていく史的経緯を明らかにした。 【重要性】①現代中国外交の祖形は1950年代半ばの外交攻勢のさいにつくられるが、その起源を中ソ同盟の第二、三層という文脈から広く捉えなおすことができた。②アジア政経学会学会誌『アジア研究』において、本研究内容を含む中ソ関係史の特集号を組むことができた。 【研究活動の内容】①『アジア研究』において特集号を組んだ。②日本国際政治学会などで研究報告をした。③講演会にて研究内容の一端を市民向けに示した。
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