研究課題/領域番号 |
25780345
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研究機関 | 東北公益文科大学 |
研究代表者 |
竹原 幸太 東北公益文科大学, 公私立大学の部局等, 准教授 (30550876)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 児童福祉法解説書 / 教護院運営要領 / 石原登 / 小嶋直太郎 / 武蔵野学院職員 / 教護院独自の学習 / 教護院の学校教育保障 / 教育権 |
研究実績の概要 |
本年度は第一に、戦後直後の厚生省発行の児童福祉法関連資料等から、戦後の児童福祉実践において「児童の権利」がいかに位置づけられようとしたのかを検討した。検討結果は、1951年児童憲章制定時期までの児童福祉法解説書には、戦前児童保護実務との関連から「児童の権利」保障の意識が発展してきたことが描かれているものの、その後は戦前の実践の記述が薄くなり、戦後に「児童の権利」保障が芽生えたとの記述傾向となっていることを明らかにした。 第二に、戦前から「児童の権利」について言及し、戦後も児童福祉事業に携わった生江孝之、田子一民、菊池俊諦らが、戦前の児童保護事業と戦後の児童福祉事業との関連性をいかに捉えていたのかを検討した。検討結果は、戦前から「児童の権利」が語られてきた史実は紹介されるものの、内務省関係者として実務を担っていた生江、田子は戦前の不備を補うものとして児童福祉法を捉えていたのに対し、教護実務家として「児童の権利」を唱えた菊池は戦前の実務との関連から児童福祉法を捉えることを主張しており、戦前と戦後の事業の連続性認識には若干の温度差があることを明らかにした。 第三に、戦前・戦中・戦後と一貫して「児童の権利」保障を軸とした児童保護を求めた菊池の実務のフィールドであった教護事業において、「児童の権利」論がいかに継承されようとしたのか検討した。検討結果は、菊池と実務を共にした石原登ら武蔵野学院職員が中心となり、編纂された『教護院運営要領』では「児童の権利」保障について言及されるものの、力説されたのは学校とは異なる教護院独自の学習形態であったことを明らかにした。その上で、1960年代以降はむしろ武蔵野学院職員の教護観に疑問を呈した小嶋直太郎が、教護院内での学校教育保障の文脈で「児童の権利」としての教育権を説いたことを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究計画書に示した通り、戦後直後の児童福祉法関係資料及び生江孝之、田子一民の論文の検討から、戦後の「児童の権利」思想の変遷について明らかにすることができた。具体的には、1950年代以降の児童福祉法関係資料では戦前の児童保護実務との関連から「児童の権利」保障を捉える視点が後退していったことを確認した。 また、菊池俊諦と実務を共にした武蔵野学院職員の戦後教護実践観の検討から、菊池の教護思想の継承点と相違点を明らかにすることができた。そこでは、石原登らの武蔵野学院職員は菊池同様、教護院独自の学習形態を求めつつも「児童の権利」論は力説せず、むしろ小嶋直太郎が教護院の学校教育保障の文脈で「児童の権利(教育権)」保障を力説したことを確認した。
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今後の研究の推進方策 |
教護実践の「児童の権利」思想を整理しながら、関連分野である養護実践等における「児童の権利」思想についても検討する。 第一に、戦前から児童保護実務に携わり、戦後も養護施設長として児童憲章策定にも携わった高島巌らの養護実務家の実践思想及び養護実践の指針となった厚生省児童局編『養護施設運営要領』(1954)等を検討し、戦後の養護実践上の「児童の権利」思想について考察する。 第二に、非行児童保護という点において教護実務と共通性を有している少年司法分野の少年保護実践にも注目し、「児童の権利」がいかに説かれていたのかも検討したい。この作業のねらいは、児童福祉実践における「児童の権利」は社会権的観点が強いのに対し、少年司法領域では自由権的観点からの「児童の権利」が見られるのか比較検討することである。 以上の検討より、戦後の児童福祉実践上の「児童の権利」思想の内実について整理する。
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