本年度は昨年までの研究作業を整理し、戦後児童福祉法制の実践において「児童の権利」思想がいかに継承されてきたのかを以下の論文にまとめた。 第一に、日本教育学会編『教育学研究』に論文を投稿し、戦前の教護実務で「児童の権利」論を力説した初代武蔵野学院長の菊池俊諦の教護思想に注目しつつ、菊池退職後の武蔵野学院では「児童の権利」を基軸とした菊池の教護思想がいかに継承されたのかを検討した。その結果、菊池の下で勤務した宗像守雄、森鏡壽、池田實道らに菊池の教護観が受容されつつも、戦時中は教護方針の変更が迫られ、武蔵野学院では二代目院長の熊野隆治が戦時体制に即した人的資源を培養する教護方針を進め、その方針に対しては菊池の教護思想を継承した石原登らが抵抗したことを明らかにした。さらに、戦後に菊池が遺した児童福祉資料を検討し、自らの教護思想を石原らが継承している旨の発言をしていることを確認した。 第二に、日本司法福祉学会での自由報告を基に、同学会編『司法福祉学研究』に論文を投稿し、戦後児童福祉法制の下で策定された『教護院運営要領』及び『養護施設運営要領』に注目し、両施設に共通する援助原理を検討した。併せて、戦前・戦後を通じて教護、養護実務で活躍した武蔵野学院調査課長の石原登、子供の家学園長の高島巌の人物史を辿り、実践思想史レベルで継承されてきた援助原理についても検討した。その結果、戦前から唱えられてきた「児童の権利」擁護論は、戦後の教護、養護実務で引き続き継承されつつも、教護分野に比べ、養護分野では実務家の実践思想を継承していく側面が弱く、児童憲章策定に関わった高島の業績は徐々に忘れ去られていったことを明らかにした。
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