本研究の目的は、道徳教育において子どもが自分の行為理由を明確化するときに、「なぜ」という問い、および条件文を用いた応答が果たしている役割を明らかにすることである。 平成27年度は、ウィトゲンシュタインの規則遵守論に関するマクダウエルの解釈の道徳教育における示唆を明らかにした。彼によれば、道徳哲学の認知主義は心と世界の二元論を前提にするため、道徳的実践を道徳原理(規則)の応用であるか、合理的に対話不可能な欲求の表現であるかのどちらかだと捉えてしまう。だが、世界の見方と世界の見え方は不可分であり、有徳な人の見方を道徳原理や、事実から切り離された欲求に還元することなどできない。ここから道徳原理を教えたり、心情に訴えかけたりする従来の道徳教育の不十分を指摘し、個別状況での事態の見え方をめぐる理由づけ(実践的推論)過程に注目すべきだと結論した。 また、ブランダムの著作を精読し、条件文を用いた理由に、自己の責任範囲を画定させ、自己変容していく契機が読み取れることを示した。ブランダムは主張内容間の推論的関係と、主張することで主体が引き受けるコミットメントや権利づけ等の責任範囲の確定を連動させて捉える。そして、自分が何にコミットしているのかを意識するときに用いられるのが条件文である。主体は条件文を用いて自分の考えを明示化する中で、その前件に対して批判的になり、ときには組み替えることができる。これがブランダムの自己形成論的な局面であり、本年度はそこに道徳教育への応用可能性を見て取った。 前者は教育哲学会編『教育哲学研究』第112号に掲載された。後者は教育哲学会第58回大会(於:奈良女子大学)にて口頭発表した。また関連して、徳認識論の知見をエビデンス教育批判に援用したものが日本教育学会編『教育学研究』第82巻第2号に掲載された。
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