本研究の目的は道徳教育において子ども自身が行為の理由を明確にするときに、「なぜ」という問いおよび条件文が果たしている役割を明らかにすることであった。まずマクダウエルの道徳哲学から、道徳原理を個別事例に適用することでなく、行為者同士が個別事例の際立った事実をめぐって対話を重ねる過程として道徳教育を捉えるべきことを指摘した。その際、ドレイファスとの論争から、暗黙的行動でも概念化能力が規範的に求められることも示した。次に、ブランダムの著作を精読し、条件文を用いた理由づけに、自己の責任範囲を画定させ自己変容を促す機能があることを示した。以上より、理由を語り出すことの人間形成論的意義が明らかとなった。
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