研究課題/領域番号 |
25780484
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研究機関 | 長崎県立大学 |
研究代表者 |
雪丸 武彦 長崎県立大学, 経済学部, 講師 (60614930)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 休暇聚落 / 特別教育 / 養護学校 / 学校設置 |
研究実績の概要 |
本年度は、日本の戦局拡大により健民政策がとられ、国策として身体虚弱児対策がすすめられた昭和戦前期の門司市における身体虚弱児教育政策を明らかにすべく、前年度に引き続き、戦前期の「福岡日日新聞」、「九州日報」、「門司新報」を収集するとともに、戦後の継承について明らかにすべく、「九州タイムズ」の関連記事の収集・分析を行った。また、これらとともに、戦前、戦後の職員録を収集し、戦前戦後における身体虚弱児教育政策に関与する人物について調査を行った。さらに、戦前戦後における門司市の予算書類、決算書類を収集し、財政的な措置の継続の有無を調べた。 この結果、門司市では①市役所だけではなく小学校の後援会も休暇聚落(林間・海浜聚落)を行っていたこと、②門司市での休暇聚落の実績の結果として、教育会が昭和13年に市内小学校、市立高等女学校の利用する「療養学園」構想を実現しようとしていたこと、③市立高等女学校は昭和15年に「白野江修養道場」を建設し、その構想を実現したこと、④「白野江道場」を設置した時代の校長は戦後に白野江養護学校を設立する際に学務課長をした人物と同一人物であったこと、⑤白野江養護学校は昭和22年9月に開設されたことが明らかになった。 このようなことから、戦後初めての身体虚弱児童のための公立養護学校として設立された白野江養護学校は、戦後の教育改革の中で偶然生まれた産物ではなく、戦前の教育実践の積み重ねと戦後の教育改革で生まれた「養護学校」という制度のアイディアが重なり合った結果として生まれたものと言える。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
職員録、財政資料、議事録等を通じ、本研究の課題の1つである白野江養護学校の開設時期の確定ができたため。
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今後の研究の推進方策 |
白野江養護学校で行われていた教育の実態を明らかにすべく、今後は門司市の学校に通っていた人物や白野江養護学校の卒業生へのインタビューから、白野江養護学校が門司市でいかに捉えられていたのか、また白野江養護学校にどのように入学し、どのような教育が行われていたのかを明らかにしていく。
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次年度使用額が生じた理由 |
当初予定していた国内資料収集調査及び学会発表が事情によりできなくなったため。
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次年度使用額の使用計画 |
次年度早い段階で資料収集調査を実施し、また、学会発表についても当初予定よりも多く行うこととする。
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