本研究は戦後直後に設置された公立養護学校である門司市立白野江養護学校の設置のプロセスを明らかにすることを目的とするものである。この目的のため、当時の各種新聞や門司市の市会議事録、事務報告等を収集した。 この結果、白野江養護学校は、戦前高等女学校の女学生の体力向上のために建設され、戦争が激化して以降、要鍛錬者や陽転者の修錬の場として使用された建物(道場)を使用していたことが判明した。そして1947年の学校教育法により養護学校のアイディアが示され、門司市は福岡県当局に確認をした上で、養護学校として転用したことが判明した。
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