本研究はナノ強磁性多層膜におけるスピントルクと熱揺らぎの競合によって生じる磁化ダイナミクスの理論構築を目指して開始した。近年の微細加工技術の進展に伴い、ナノスケールでの電化・スピン伝導が観測できるようになったことで、その基礎物理および産業応用への関心が高まっている。特にナノ強磁性多層膜では電子のスピンに依存した伝導特性に起因する磁気抵抗効果やスピントルク効果が実験で観測され、またそれを利用した磁気記録素子デバイスの実用化も始まっている。一方でナノスケールの物質では熱揺らぎの効果が無視できなくなり、磁性体の磁化のランダムな反転の原因となっていた。本研究ではこの熱揺らぎとスピントルクの競合によって生じる磁化ダイナミクスの理論を構築し、熱活性領域における磁化の反転確率など実験を定量的に評価できる手法の確立を目標とした。このような研究を行うことはナノスケールでの物理現象の解明という意義を持つとともに、磁性デバイスの実用化に向けて素子の性能を精密に評価する技術を確立するという重要性がある。 研究初年度は熱活性領域における磁化の反転確率の理論公式を等エネルギー面上で平均化された磁化の運動方程式とFokker-Planck方程式から導出することに成功すると共に、先行研究の適用限界を明らかにした。また、ここで確立した理論がナノ強磁性体のスピントルク磁化発振やマイクロ波アシスト磁化反転といった別の物理現象の解析にも有用であることを示した。次年度は引き続き磁化反転の確率公式の性質を調べるとともに、スピントルク磁化発振の熱揺らぎに起因する線幅の定量的評価、マイクロ波アシスト磁化反転の反転条件の解明を行った。また最終年度には等エネルギー面上で平均化された磁化の運動方程式を用いてスピントルク磁化発振の発振条件の導出と、磁化を常に共鳴状態におくことで効率化したマイクロ波アシスト磁化反転の理論を構築した。
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