本研究は、明治~大正中期における地方営繕組織について、各府県立図書館や文書館等に現存する職員録、職員履歴簿、営繕事業記録等の収集と分析を主として時系列的かつ網羅的に把握し、背景としての地方行財政制度や建築教育制度をも含む総合的視点から、それらの成立と展開の過程を解明しようとするものである。特に平成27年度は研究最終年度として、①未収集資料の追加調査と収集、および②史料の整理・分析と総合考察、に重点を置いて研究を実施した。得られた成果は以下の3点に要約される。 ①機構の観点から見れば、明治10年代に全国的に府県庁の中に技術部門が設置され始めたことが明らかとなった。またその背景には、地方の土木・建築費が、国庫負担から地方税負担に切り替えられたことが色濃く反映されていたことを把握した。ただし当初の営繕部門は府県庁に不可欠の存在では決してなかったようでもあり、改廃や再設置が繰り返される事例も確認された。 ②技術者の観点から見れば、明治20年代に大部分の地方で技術官(技師・技手)が配置されるに至ったことが明らかとなった。また初期の技術官は、高等教育機関が未だ整わない時期にあって、少数の帝大出身者や中央官庁出身者も勿論いたが、大部分が地方で実務経験を積んで技術を修得した人物であったことを把握した。独自に見習い制度を設けて技術者を育成した府県のあったことも確認できたほか、初期の技術官が、上官との関係で府県間を移動しながら自らのキャリアを形成した姿も浮かび上がってきた。 ③明治末期から大正初期には、建築技術者の専門化が進みつつあったことが明らかとなった。すなわち複数の府県で国家制度に先行して「建築技師」「建築技手」等の職名を確認することができた。またこれらの背景には、濃尾地震以後、学校建築をはじめとする地方の公共施設において、耐震技術の向上が重要視されたことが影響している可能性が示唆された。
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