MultiScale Enhanced Sampling (MSES)法は、全原子モデルと低自由度の疎視化モデルを連成させたマルチスケール手法により、全原子の解像度で効率的に構造空間探索を実行することができる。本研究課題では、細胞内のシグナル伝達など化学反応を制御するタンパク質複合体形成過程に本手法を適用することでタンパク質間相互作用の自由エネルギー地形を計算することを目的としている。今年度の研究では、常磁性緩和促進(PRE)を始めとした分光学実験で遭遇複合体を含めた構造解析が進んでいるEIN-HPr複合体タンパク質複合体にMSES法を適用し、蛋白質が遭遇してから遭遇複合体を経て特異的複合体を形成する過程を解析した。 粗視化モデル(CG)の自由度としてはアミノ酸のCa原子を考え、粗視化モデル力場としては複合体構造を安定状態とするような弾性ネットワークモデルを用いた。全原子モデル(MM)とCGのばね強度を変えた20個のハミルトニアンレプリカ交換を100 ns実行することにより十分な全原子構造サンプリングを実現した。 複数のプルーブを用いたPREデータを再現するには一つの局所的な安定構造だけでは不十分であり、MSES法により得られた広範な構造アンサンブルが必須であることが示された。構造アンサンブルの解析の結果、EIN-HPr相互作用過程において、剛体的なHPrの運動がEINの接触面上の静電相互作用を仲立ちとした一次元的な動きとして記述されることがわかった。つまり、遭遇から特異的複合体形成に至る過程が、比較的ゆるやかな自由エネルギー面に沿って静電相互作用のフレームをシフトさせつつ最適な相補的構造を探索する運動として説明できることを明らかにした。またその過程において、原子間相互作用の形成に伴う脱水和や比較的柔軟なEINの内部運動が重要な役割を果たすことが示唆された。
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