津波が常襲する三陸地方の沿岸集落において,集落と神社立地について次の点が明らかになった.まず,大正期の集落立地は,湾形というマクロスケールの地形よりも,メゾスケールである低平地の大きさやその歪み具合に応じてその立地が相似的になる傾向があり,低頻度災害である津波に対する安全性よりも生業等の日常の利便性を優先させた結果であると見ることができる.ただし,街道は尾根裾の微高地に沿い,河口を避けて渡河するなど,利便性を重視しつつも出来るだけ安全な場所を選んでいることが覗える.神社は,多くが尾根筋の高台立地をしているが,神社の縁起に関する調査の結果,神社立地メカニズムは水害や集落との関係のみによって説明されるわけではなく,12世紀中期に大きな変化があったことが判明した.12世紀中期以前は,日常的な参詣を前提としないため,集落との近接性よりも立地環境の神聖性が重視され,この時期の神社立地は特別な例外を除いて尾根筋に徹底されている.12世紀中期以後,すなわち勧請文化がこの地に流入してからは,例えば平地や海岸など,神徳とその設置場所に関係性を求める例が増加し,神社立地が多様化した.また,このうち一部は,集落へ遷座したものの水害に遭い集落近くの高台へと再遷座している. 次に,南海地震津波が警戒されている高知市・須崎市沿岸部において,津波・洪水ハザードマップを基に調査分析を行った.津波・洪水の双方が常襲する高知市よりも,津波が卓越する須崎市における集落構造・神社立地が三陸地方沿岸と相似的であり,地形と水害に応じた神社立地傾向が確認された.高知市の神社は,高台立地と河岸立地(河川や近世の水路傍への立地)が混合しており,基本的に高台立地する須崎市と神社立地メカニズムが大きく異なる可能性が高い.しかし,いずれの市でも,氏子域内で相対的に安全な位置が選ばれた可能性を裏付ける事例が確認された.
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