本研究は、本来朝廷が独占していた流刑を鎌倉幕府が採用し、それを幕府法に定着させていった刑罰史を検討することによって、鎌倉幕府成立史や公武関係史について、流刑の観点から新たな歴史像を提示することを目的としている。 平成25年度・平成26年度の研究をふまえ、最終年度である平成27年度は、研究目的の第1にある「流刑実施にともなう人的組織などについて明らかにする」および第2の「幕府法秩序に流刑が位置づけられていく過程を、朝廷との関係に留意しながら明らかにする」ことを課題に研究をすすめ、その成果を論文「中世前期の流刑と在京武士」にまとめ福岡女子大学国際文理学部紀要『文芸と思想』第80号(2016年2月発行)にて発表した。 同論文は、京から各地への幕府による配流が守護・大番衆・在京御家人による都鄙間交通に支えられていることに注目して、そのような幕府の配流が成立する過程を幕府成立以前の段階にまでさかのぼって考察したものである。 具体的には、朝廷の流刑を補完したり、在京活動中に流人の身柄を引き受けて本国に下ったり、平氏による私刑としての配流を担ったりといった、幕府成立以前よりみられる武士社会の動向を体制的に整備するかたちで幕府による流刑が築かれたことを明らかにした。 従来の研究においては、武士による囚人預置慣行が幕府による流刑の基礎を形作っていたことが指摘されてきたが、それだけでなく、幕府成立以前よりみられた武士による在京活動・都鄙間交通といった武士社会の動向も幕府による流刑の直接の前提となっていた点を指摘し得た。広域的な移動を繰り広げる武士社会の動向のなかから、流刑という一つの法が生じる様相およびその定着の過程を跡づけた点や、刑罰史のなかに都鄙間交通の視点を盛り込むことができた点が、本研究で示し得た新たな歴史像である。
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