アゼルバイジャン西部のギョイテペ遺跡、ハッジ・エラムハンル・テペ遺跡出土の植物遺存体分析の結果、新石器時代における当地の農作物の変遷と、籾殻の集中的利用が明らかになった。 時期的に先行するハッジ・エラムハンル・テペでは、オオムギと皮性コムギが多くを占めたのに対し、ギョイテペ遺跡からはオオムギ、皮性コムギに加え、裸性コムギが多数出土した。南コーカサスでは裸性コムギが早くから栽培されていたことは分かっていたが、アゼルバイジャンでは、農耕開始当初から裸性コムギへの傾倒があったわけではないことが示唆された。 また、プラントオパールや糞球体などの微細化石の分析や、地学的分析と合わせ、ギョイテペ遺跡ではムギの籾殻を、円形貯蔵施設の中に貯蔵していたと推定された。これまで西アジア各地で多くの貯蔵施設が発見されてはいるが、実際に何を貯蔵していたのか分かる例はごく稀である。しかしギョイテペの円形貯蔵施設の一つからは、大量の白色化した籾殻の堆積が見つかった。堆積の仕方から原位置と見られ、実体顕微鏡で観察すると、ムギの穎や芒などが、一部は炭化物として、一部は結晶化して保存されていることが分かった。プラントオパールの分析結果からも、イネ科の花序の部分が堆積していたという結果が出ており、この遺構に穀物の籾殻(もしくは籾?)が入れられていたことが明らかになった。同じ遺構からは、キク科Artemisia属の種子も大量に見つかっており、この植物が防腐剤や虫よけとして使われていた可能性がある。籾がらを保存していたとすると、家畜のエサや混和材など、籾殻の多用な用途への利用が考えられる。主な建材である日干しレンガには、籾殻が大量に混和されており、裸性のムギを選択する背景に、籾殻の集中的利用があった可能性も指摘できる。
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