研究概要 |
アイゼンハワー政権がイランへのクーデター工作、すなわち、軍事介入によってモサッデク民族主義政権打倒を決定した政策決定過程の理解を目的に、アメリカ合衆国文書(FRUS)を分析した。その結果、クーデターが、1953年3月の国家安全保障委員会で決定されたことが判明した。 上記分析を踏まえ、アメリカ国務省極秘文書(Confidential U.S. State Department central files Iran : foreign affairs and internal affairs 1950-1954 [microform],University Publications of America, 1985)のうち、アイゼンハワー政権発足から、クーデターによってモサッデク政権が崩壊する1953年1月から8月の文書を重点的に通読した。同文書の中で、イラン国内の様々なグループが、在イラン米国大使館を通して、アメリカ政府に情報を提供したり、要望をしたりするなど接触を図っていたことが浮かび上がった。 さらに、2014年3月31日から4月5日まで、米国国立公文書館にて、上記の1985年に公表されたアメリカ国務省極秘文書のマイクロフィルムには、収録されていない未公開文書を調査した。その結果、8月19日クーデター前後に行われたワシントンの米国国務省と在イラン米国大使館のやりとりを具体的に理解することができた。しかし、1953年7月から9月の文書を中心に読んだため、その前後の文書をさらに通読、分析し、アメリカの政策が石油国有化運動に与えた影響とイラン国内「世論工作」の実態を包括的に理解する必要がある。
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