1953年8月にイランのモサッデク政権を打倒した、米アイゼンハワー政権によるクーデター計画と世論工作について理解するために、(1)アメリカ合衆国文書(FRUS)、(2)アメリカ国務省極秘文書、(3)CIAの極秘文書、(4)ペルシア語主要日刊紙エッテラーアート紙を精読・分析した。その結果、クーデターによるモサッデク政権打倒計画が国家安全保障会議(NSC)、特にダレス兄弟の主導で決定し、計画遂行にヘンダーソン駐イラン米国大使とCIAが大きな役割を果たしたことが確認された。NSCの議論は、冷戦構造の深化とソ連への脅威認識を強く反映していた。ソ連と国境を接するイランに設置された、米大使館と領事館は、ソ連関連情報収集の最前線と位置付けられ、国境近辺で活動するクルド民族の動向、アゼルバイジャン地方での労働運動、イラン共産(トゥーデ)党の活動実態が電信や詳細なレポートの形で米国務省極秘文書の中に残されている。米大使館に出入りしていたイラン人は、宮内相や王党派のジャーナリストや政治家など反モサッデク政権派のみならず、国民戦線のリーダーやガシュガーイー族の族長など多岐にわたり、米大使館は様々な政治派閥から情報を収集していたことが判明した。いずれも、アメリカの力を利用して、イラン国内における自らの政治的影響力の拡大を図っていた痕跡が窺える。エッテラーアート紙では、1953年8月に近づくにつれ、治安の不安定化や政権による経済政策の失敗に関する報道や論説が増え、イラン国民の政府支持を減退させる世論工作に一定の役割を果たしていたとみられる。反共を目的とした、米政府によるパフラヴィー王政の強化とイスラーム宗教勢力の利用は、共産党のみならず、イラン国内の民族主義や民主化を求める政党をも弱体化させ、イラン政治の健全な民主化を阻んだ可能性が高い。
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