1951年にイラン政府は英系石油会社の支配下にあった石油産業を国有化した。当初、アメリカはイランのナショナリズム運動に同情的な姿勢を見せ、石油紛争の仲介役を担ったが、1953年8月に英米共同軍事クーデター実施へと政策転換した。米国公文書とペルシア語史料を分析した結果、モサッデク政権打倒計画はイランにおける共産主義勢力拡大を過剰に危険視した米国国家安全保障会議で決定され、計画遂行にヘンダーソン駐イラン米国大使とCIAが大きな役割を果たしたことが判明した。米による世論工作は限定的ではあったものの、イラン国民の間でモサッデク政権への不信感と共産主義の脅威認識を普及させる上で一定の影響力を発揮した。
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