研究課題
若手研究(B)
戦前、東京における東アジアの青年たちの思想交流は、1910年代の運動組織としての新亜同盟党から、1920年代には公論の場としての雑誌『亜細亜公論』と『大東公論』へ、1930年代には学術の場としての早稲田大学へと、その空間とメンバー、主な機能を変えつつも、絶えることなく行われた。また、その思想が、帝国日本から朝鮮、台湾、中国へという一方的な伝播されただけでなく、交流、つまり相互に影響し合い、さらに、東京で培われた人的ネットワークが継続された。
朝鮮近現代史、日韓関係史