研究課題/領域番号 |
25870929
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研究種目 |
若手研究(B)
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
菅原 慶乃 関西大学, 文学部, 准教授 (30411490)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 上海Y.M.C.A. / 映画伝来 / 非商業上映 / 映画館 / 茶園 / 外国籍会社 / 危険大歓迎 / 映画検閲 |
研究概要 |
初年度にあたる今年度は、既存の資料の目録化を進めると同時に、映画が上海に伝来した直後から、映画常設館が急増する1910年代までを射程とし、映画の受容経路の多様性に着目した研究を行った。この他、筆者のこれまでの研究で手薄だった1930年代の映画館文化と映画制度にかんする調査、研究を行った。 (1)これまでの筆者の研究成果を踏まえた上で、映画の非商業上映の実態をより具体化させ、論文「「猥雑」の彼岸へ--「健全なる娯楽」の誕生と上海Y.M.C.A.」として発表した。 (2)映画伝来直後の映画上映空間の諸相について分析した。その際特に、従来の研究で主な研究対象とされてきた茶園(旧式劇場)、茶館、中国式庭園における映画上映と、それ以外の場所、とくに「西洋化=近代化」された公共空間(西洋式の学校、公益団体、キリスト教系団体)におけるそれとの間に、明確な質的差異があることを確認した。また、両者の間には、観賞行動においても大きな違いが認められた。これらの点については、アメリカ映画・メディア学会の年次大会における発表で一部公表した。 (3)1930年代から1940年代にかけて上海の主要映画興行会社がアメリカ等の外国で会社登記を行った現象に焦点をあて、表面的には売国的行為と批判されたこれらの企業の活動が、むしろ映画文化の近代化と国産映画の興行網の温存にこそ目的を置いていた点を明らかにした。また、その成果を国際会議で発表した。 (4)中国において映画が1930年代に急速に政治化していく背景には、国民党政府が映画統制にかんする法令を急速に整備し、強行な運用を開始したことが大きな要因として認められる。そこで、その発端となった、いわゆる『危険大歓迎』事件と映画検閲にかんする論考を後掲の編著(第3章「中国人を描くべきは誰か――アメリカ対中映画貿易をめぐる表象の政治学」)において公表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、民国期上海の映画受容経路の変遷を究明することを目的としている。今年度は清末の映画伝来直後から民国初期(1910年代)までを射程として、映画受容経路や映画上映空間の多様性を明らかにすることができた。また、筆者の研究蓄積が薄かった、1930年代から1940年代の上海の映画館文化、映画制度に関する基礎的な研究を遂行し、成果を発表することができた。したがって、研究は概ね順調に推移しているといえる。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、1910年代の映画上映空間のさらに精緻な分析を進めると同時に、1920年代における映画の受容経路、特に江蘇省教育会や通俗教育研究会等の教育団体における映画施策を中心に調査を進める。 具体的には、江蘇省教育会が発行していた機関誌のうち、『教育研究』、『江蘇省教育会年鑑』、またその下部組織が編んでいた『通俗教育』の精読、分析を行い、とくに通俗教育、職業教育の領域で、この団体が幻灯や映画をどのように使用していたのかを明らかにする。これに併せて、『申報』などの主要日刊紙からも、同会の通俗教育施策と幻灯、映画使用にかんする詳細情報を得、分析する予定である。 同時に、明星影片公司を中心とする1920年代初頭の映画会社のスタッフたちと、江蘇省教育会をはじめとする教育団体との関連を、人脈を中心に分析する。とくに江蘇省教育会、中華職業教育社、寰球中国学生会、基督教青年会、そして寧波同教会と明星影片公司との複雑かつ密接な関係について、明星影片公司の事業拡大期を中心に明らかにしていく計画である。
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次年度の研究費の使用計画 |
執行締切までに、主に図書館相互利用制度の利用料金の精算が間に合わなかったため。 次年度も引き続き関連資料の収集、精読を中心に作業を進める。とくに、1910年代から1920年代にかけての教育行政、教育団体にかんする雑誌、新聞記事等を収集、分析する。この領域では近年資料のマイクロフィルム化、デジタル化が急速に進み、中国の公共図書館のみならず、民間企業においてもコンテンツが大いに充実しつつあるため、これらの資料の収集に力を入れる。また、日本の大学図書館等にも関連資料を所蔵する所が少なくないため、国内の相互利用制度なども積極的に利用する。必要に応じて国内外の関連施設に出張を行い、資料収集を行う。
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