本研究はミシシッピ川上流「商工農業社会」と下流「プランテーション社会」の比較史の観点から、洪水に対する社会の適応性を一次史料を調査収集し、その内容をもとに分析することにある。 期間全体でミシシッピ州ジャクソン市にある公文書館、およびミネソタ州セントポール市にある公文書館でそれぞれ時期を分けて調査した。2か所での公文書館では州の湿地委員会の議会史料を収集し、また、両地域で主導的な役割を果たしたパーシー家文書(ミシシッピ州)、R.ドーレ文書(ミネソタ州)を収集し、また、これら一次史料に関連する新聞雑誌、パンフレット、議会史料を調査した。したがって、本研究では現地での史料収集の成果が最も重視されるところであったが、資料収集についてはおおむね計画通りに達成することができた。 史料収集および分析の結果、ミシシッピ州では、パーシーをはじめとするプランターたちのインフラ整備によって湿地が開墾された。この湿地開発体制は1927年ミシシッピ川大洪水によっていったんは破綻したものの、ニューディール期の連邦治水法において、プランターは大規模な治水構造物の建設を優先した。 これに対してミネソタ州では、移民流入にともない湿地帯では民族的なコミュニティが形成されたが、20世紀に入ると限界をむかえた。またこのことは、ニューディール期から戦後にかけて、環境保全運動のきっかけになった。しかも、このたびの史料調査によって、「湿地再生運動」が環境保護団体との連携によって、草の根的な環境保護、湿地再生、野生生物保護運動が展開された点が明らかになった。 以上のように、本研究では、1927年大洪水を契機として、洪水に対する社会のスタンスの違いを一次史料から分析し、その分岐点を明らかにした。一連の成果は、著書刊行や学術論文発表や学会報告を通じて、すでに広く社会に還元している。
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