本研究は近世の多民族複合国家ポーランド=リトアニア共和国が4つの近代ネイションに分かれる過程で、貴族主体のネイションが下位身分に垂直的に拡大する一方、民衆言語に応じて領域的・水平的に縮小したネイションが登場する点を検討した。共和国再興を目指す1830-31年の十一月蜂起と1863-64年の一月蜂起における声明や動員方法、その間のリトアニアやベラルーシの地域主義的活動の分析から、垂直的拡大は不可逆的あるいは均一に進んだわけでないが、非ポーランド語話者も含めた下位身分へのネイションの拡大傾向が、民衆言語によるネイションの区分という領域的縮小に影響を与えるなど、相互に絡み合っていたとの見通しを得た。
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